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谷繁監督が大記録を達成 [スポーツ]

中日ドラゴンズの
監督兼任選手の谷繁元信捕手が
野村監督超えとなる通算3018試合出場を達成しました。
まずは、素直に「おめでとうございます」



しか〜し谷繁さん・・・
僕は、あまり良く思っていませんでした。




なぜなら
去年までドラゴンズに在籍していた
「やりました〜!!」

の小田幸平捕手は僕の高校の
1つ下の後輩だったからです。


だって、谷繁さんが引退してくれたら
小田幸平がレギュラー捕手だったかもなんですもん。
兵庫県に住んでいながらも
中日ドラゴンズを応援していたのは
ひとえに小田幸平がいたからです。


中日ドラゴンズを応援と言えば
東京ドームに中日、巨人戦を観戦に行ったことがあるのですが
もちろんドラゴンズの応援なのでレフトスタンドです。
そこで目にしたのは・・・

清原の復帰満塁ホームランでした。

PL全盛期に野球小僧だった僕は
とても複雑な気分でした。


だいぶ谷繁選手のことから
話がそれてしまいましたが

谷繁といえば
島根の江ノ川高校では
強打の捕手として活躍して
89年に大洋ホエールズから
ドラフトで1位指名されるほどの逸材でした。
それ以降27年間にわたり
プロの世界の一線で活躍していますが
プロ入り直後は強肩と強打は光る物がありましたが
あの大魔神「佐々木主浩」投手に

「お前では安心してフォークが投げれない」

と言われ、ベンチに下げられるような屈辱を味わっていたのです。

そこは負けず嫌いの谷繁さんです
来る日も来る日もワンバウンドを捕球する練習を繰り返し
身体中が痣だらけにして苦闘していました。
いつの日か佐々木投手も「変えてくれ」とは言わなくなり
ベイスターズが38年ぶりにリーグ優勝を果たし
日本一にもなった1998年のあの瞬間に
大魔神、佐々木投手とマウンドで
抱き合っていたのは谷繁捕手でした。

やはり、こうやって第一線で
一流として長い間活躍する選手というのは
並外れた負けず嫌い精神と
怪我に強い身体を持ち合わせているんですね。

1捕手として27年間って簡単に書いていますが
巨人の阿部捕手を見てもわかるように
そんな生易しいポジションではないですよね。
次は監督として、もう一花咲かせて欲しいですね。



まあ、小田幸平捕手のいない今
僕は中日ドラゴンズファンではないですが。。。
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